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『上杉慎吉「人の相関と連続」|天皇主権説の権威による社会学説』に対する意見

『上杉慎吉「人の相関と連続」|天皇主権説の権威による社会学説』に対する意見

>ところが現代日本においては、自由な個人こそが尊いと信じ、国家を忌避して弱体化させるのを良しとする風潮が極めて強い。

これを読んでごらん。

『人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として人間として生きるためである。 決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむるものであろう。 人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを勇逸の目的とせるものである。
かくいわば人あるいはいうであろう。しからばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衝突矛盾することが あるかと。
しかしその衝突するのはその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくて、 その1つの目的を達するため、1つの立場をとるために、一時矛盾撞着するのである。 言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
されば、「国民として生きる前に人として生きねばならぬ」 と言う言葉は、私の意味を以てすれば、「国民として生きる前」ばかりでなく、 「宗教の中に生きる前」「文芸の中に生きる前」「哲学の中に生きる前」 に人は人として生きねばならぬのである。 否、生きざるを得ないのである。 何となれば、国家も宗教も哲学も、文芸も、その他一切人間の活動も、 皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものであるから、 もしこれらの或るものが、この目的に反するならば、我々はそれを変改せねばならぬからである。』

これは石橋湛山の言葉だが、これは自己同一性、つまり自我について語っているわけ。
自分は何者なのかと突き詰めて行けば、生物としての「私」にたどり着くはずだ。
つまり、湛山の言うところの人類としての個人である「私」にたどり着くんだよ。
よって、国民である前に一人の「私」なのだから、自分として生きるために努力しなければならないのであって、決して国家のために、国民として生きるために努力するものではないのね。
ただし、人間は個人として生きて行くことができない動物でだから、個人は団結するんだよ。
キミは「私」の上に国家を置いている。
だから、国家に敵対する人がいると錯覚してしまうわけ。

国民国家は永遠の共同体ではないんだよ。
日本という国は古代から連綿と続いてきた共同体だと思っているかもしれないけど、それは幻想なのね。
例えば、日本列島に住んでいる人々の言語が統一されたのは大日本帝国が作られてからだよ。
つまり、それ以前は日本列島には統一国家は存在しなかったわけ。
共同体の形は変わり続けるんだよ。

【国民国家はバーチャルな共同体】
【国民国家は解体される】 


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