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ナショナリズム③

ナショナリズム③ 
2019/1/8 Yahoo!ブログ

『人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむるものであろう。人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを勇逸の目的とせるものである。
かくいわば人あるいはいうであろう。しからばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衝突矛盾することが あるかと。
しかしその衝突するのはその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくて、その1つの目的を達するため、1つの立場をとるために、一時矛盾撞着するのである。言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
されば、「国民として生きる前に人として生きねばならぬ」と言う言葉は、私の意味を以てすれば、「国民として生きる前」ばかりでなく、「宗教の中に生きる前」「文芸の中に生きる前」「哲学の中に生きる前」 に人は人として生きねばならぬのである。否、生きざるを得ないのである。何となれば、国家も宗教も哲学も、文芸も、その他一切人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものであるから、もしこれらの或るものが、この目的に反するならば、我々はそれを変改せねばならぬからである。』

これは石橋湛山の言葉ですが、これこそがセルフアイデンティティなのです。
つまり、自我が確立している人間の言葉なのです。
自分は何者なのかと考える。国民である前に一人の人間であることに気付く。
自我が確立している人同士は、一人の人間同士として接することができるのです。
ですから、簡単に国境を超えて握手することができるのです。

自我が確立していない未熟な人間は、一人の人間という立場に立って思考することができずに何かに依存するようになります。
特定の思想に依存するようになると、常にその立場に立って思考して行動するようになります。
例えば、作り物のナショナリズムに依存するようになると、つまりナショナル・アイデンティティに意識が止まってしまうと無意識に自国は他国よりも優れていると思い込んでしまうことがあるのです。
よって、自我が確立していない人同士は国境を越えて握手することができないことがあるのです。

敵味方、善悪、正邪、右翼左翼、反日親日、保守革新等々、幼稚で単純な二元論や二項対立の政治的スペクトルにどっぷり浸かって物事を語る人は、概ね自我が確立していない未熟な人間です。
人の数だけ立場は存在するわけですから、当然対立軸は無限に存在するのですが、彼らの対立軸は一つなのです。
それも、ある時は右翼になったり、ある時は左翼になったりもするような実にいい加減な対立軸なのです。
右って何ですか?左って何ですか?そんなものは端から存在しないのですよ。

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